「できなきゃいけないこと」が増えたのは、「できること」が増えたから。

「できなきゃいけないこと」が増えたのは、「できること」が増えたから。

プロフィール

PASS THE BATON・PTBMディレクター休場 瑞希

1993年横浜市出身。高校卒業と同時に単身渡仏、パリで服飾の専門学校を卒業。帰国後はスタイリストのアシスタントなどを経験したのち、PASS THE BATONのパートナースタッフとしてスマイルズに入社。店舗勤務を経て現在はPASS THE BATON MARKETを、ディレクターとして統括する。おいしいワインと珍品をこよなく愛する。

自分の「好き!」を取り戻した出会い
PASS THE BATON (以下PTB) との出会いは高校生の時でした。当時はプロを目指してクラシックバレエに打ち込んでいて、もうひとつ好きだったことが"服"だったんです。文化(服装学院)に通っていた従姉妹が都内のいろいろなところに連れて行ってくれて、その中にPTBがありました。
それからフランスに留学してファッションの専門学校に行き、帰国してスタイリストのアシスタントをしたり、鎌倉のジュエリーショップで販売兼製造の仕事をしました。細かい作業や作ったりするのが好きだったので楽しかったんですが、私生活もそれまでとは全然違う、"ザ・オーガニック生活"みたいな自然派になっていって、気付いたらもともと好きだったものからうんと遠ざかってしまっていました。

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ムリな働き方をしてしまったこともあり、その仕事は結局辞めてしまったのですが、辞めたあとしばらくは「何も欲しくないし何にもときめかない。買いたいものもないし行きたい店がないから働きたい店もない。」こんな空っぽの状態。
それがしばらく続き、ある日表参道を歩いていた時に急にPTBのことを思い出したんです。「(そういえば)あったわ!」みたいな直感でした。めちゃくちゃ楽しかった記憶がある、と思って表参道ヒルズの外階段を降りていくと、入った瞬間から「もう超好き!」って久しぶりにテンションが上がったんです。もう一直線に「ここで働きたい!」と思ってすぐアルバイトに応募して働き始めました。

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パスザバトン表参道店(2021年6月に閉店)。PTBのスタッフは皆何かしらのオタク。服オタク、ジュエリーオタク、アンティークオタクなどなど、そのセンスを共有したくてたまらない人たちの集まりでした。

やることは未定。必要なのはやる気と気合と根性。
店舗で働くことが大好きでしたが、コロナ禍でPTBも試行錯誤が続き、パスザバトンマーケット (以下 PTBM)がはじまり私も異動になりました。急に上長に呼び出されて、「(マーケットが)どんな形になるのかまだ分からないけど、やる気と気合と根性がある人が必要だから(休場さんで。)」と。やる気と気合と根性で選んでくれたのが私だったのが嬉しかったのと、確かにそれしかないなと(笑)。
私は搭載している能力があまりなくて、得意といえることがあんまりない。ただ、やったことないことができるようになることが好きなんです。(バレエで)回れるようになるとか飛べるようになることが楽しかったように、何かが出来るようになりたい気持ち一心でした。何が起こるかわからないっていうなら、じゃあやりますって、心を決めました。

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PTBMの会場風景

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いざはじまってみたら、お店の仕事とまたガラッと変わって、大変で考える暇もなかったです。当時マーケット担当は4人。相当ハードで時間もなかったので、とにかく突き進む。私は名刺交換もはじめて、web会議もしたことないし、エクセルなんて開いたことなくて、パワーポイントを最後に触ったのは中学生、みたいなレベルでした。それでもとにかく突き進む私の後ろで、師匠と呼べる先輩ふたりがちゃんとウォッチしていてくれて、「本当にやばくなったら俺に頼れ」って。いつもふたりが助けてくれたし、本当にやばくならないようにこっそり支えてくれて、私はとにかく突き進めばいい、「行け休場!」みたいな環境でした。(共催の)コクヨさんもきっと危なっかしさは感じていたのではないかと思うのですが(笑)、あたたかく見守りながら熱く伴走してくださり本当に感謝しています。

当時は本当に何もできなくて毎日パニック状態だったので、毎日泣きながらミーティングルームで教えてもらっていました。師匠のひとり、須永さんは一見無茶ぶりもあるけど、誰よりも一緒に考えてくれる人。ある時、須永さんに言われたんですよ、「休場さん、PTBMのことは誰よりも休場さんが考えてないと"ダメ"だよ。」って。ダメって厳しくも聞こえるけど、それはいまだにずっと私のベースになってます。関係するメンバーが増えたり、できることもチャレンジもいろいろ増えたけど、私が一番考えないと"ダメ"。須永さんの名言ですね。名言だらけですよ、ほとんど忘れちゃったけど(笑)。

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"100社と仕事"ではなく、"100人と対話"をしている。
出展者さんとの商談で難しいのは、「それ(PTBMや出展すること)にはどんな価値があるのか」をそれぞれの企業さんの視点に立って語ること。そしてその視点に立つだけでなく、私たちだからこそ気づける価値を見つけてお話することも大切でありとても難しいと感じています。面白いところやどう楽しいかはいくらでも言えるけれど、PTBMの魅力や意義を「楽しい」とか「見てもらったらわかる」以外の言葉でちゃんと伝えて共感してもらうのは、今でも絶賛修行中です。

出展者さんとは長いところだと1年以上先の話をしていて、直近の回の出展者さん+コクヨさん+関係企業と常にやりとりをしている感じ。次の回に向けての商談も同時にやっているので、100社くらいとは同時進行でやりとりしています。でも100社と仕事をしているというよりも、100人と対話している感覚なんです。この人のここが面白いとか、こういうところが好き、もっと話を聞いてみたい、とか。業種も幅広いので、自分の嗜好では出会わなかっただろう出展者さんももちろんいますし、もともとの知識だけじゃ到底対処できない。でも、目の前の相手の魅力や面白い部分は喋ったらわかる。一人ひとりとの対話で感じた熱量や、得られた知識や体験は絶対に忘れないし、そこから始めるやり方もあっていいのかなと思っています。

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「まだまだ話し足りないから出展します」を目指して。
出展に至るまではなるべくたくさん時間をかけて、それぞれの企業さんが「ここで何を伝えたいか」「何を伝えられるのか」をちゃんと話して当日を迎えるようにしています。
たとえば、まだ出展には至っていないんですが、2年前に出会った方がいるんです。ある産地で焼き物のセレクトショップをされている方で、その方自身がまず面白い。登窯で器を焼くときに、先頭で焼かれる器は一番強く火を浴びて規格外になってしまうことが多いのですが、その方曰く、「先頭の器はドロドロに焼けて釉薬も飛んでしまうけど、でもそこにすごい生命力を感じない?」って。そんな話をきらきらとするんです。はじめて会った時はすぐにでも出展してほしいと思ったのですが、お付き合いが続いていくと、ちゃんと話して、しつこいぐらい聞いて(しかもとってもたくさん話してくれる)、まだまだ話したいとお互いに感じた時にようやく、「あとは会場で(話しましょう)」となるのもいいなと思うようになりました。だから時間もかかりますが、その人と向き合い尽くして出展してもらうのが私のやり方だなと思っています。

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最近ではクリエイティブチームが請け負っているプロジェクトの最初のアウトプットの場がPTBM、という流れもできて、新しい魅力や価値が生まれる場所になっているのを感じます。毎回いろんな変化があって、これもできる?あれもできる?っていう社内外の相談に対して、PTBMメンバー全員が「どうやったらできるだろうか」と考える脳みそに自然となれているのが最高です。


夢につながる"イマ""ココ"
これまで、スマイルズの前もスタイリストやジュエリーの製造だったり、私はいろいろバラバラなことをやっているんですけど、すべてつながっているんです。「将来自分の店を持つ」という夢があるので、そこに向けて「これはこういう糧になるぞ」と無理やりでもこじつけて、これは全部いずれ繋がるだろうな、と思ってやっています。毎日大変で、そりゃ「辞めてやるぞー!」って思うこともあるけど、でも辞めたらもう次は自分の店をやるって決めているので、もう最終なんですよ。それなら、「店やるならもっとこれとこれとこれやったことないからやっとかなきゃ!」と思うし、そのたびに「それができるのがここ(スマイルズ)じゃん」と結局また飛び込んでいってます。
PTBMを経験して「できること」が増えているはずなのに、なんだか「できなきゃいけないこと」も増えているような気がするんです。自分の視野が広がったから「まだまだだぞ」と気付ける。だから修行期間として、私が修行できるのは今はここだと感じています。

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